日記・コラム・つぶやき

犯罪か犯罪でないか

100本目の記事になりましたので、ここでちょっと休憩です。

これまでさまざまな表記について取り上げてきましたが、あいまいな部分が残るものや、納得いかないようなものもあったかと思います。実際、私が『標準用字用例辞典』をめくりながらテープ起こしの仕事を始めたころも、なぜ「増える」ではなく「ふえる」なのか、「増える」のほうが一般的ではないかと納得いかなかったものです。「増える」でもいい辞典もあるのでなおさらですが、これはルールと割り切らなければなりません。『標準用字用例辞典』に準拠するというルールがある以上、それに従うのは表記にかかわる仕事をする者として当然のことです。これは、明らかな間違いをそのまま放置しておくことと同じで、ルールに反することを当社では“犯罪”といって、この点に関しては厳しく目を光らせています。

しかし、クライアントによっては定まった辞典がない場合もあります。辞典があればルールが決められますので、それに従っているかいないか、間違っているかいないか、揺らぎがあるかないかだけの簡単な話で済みますが、恥ずかしい間違いがなければある程度任せられるといった、割合許容範囲が広く取られている場合が実はとても頭を悩ませることになります。恥ずかしいと感じる度合いも人それぞれで、同じ間違いでも100人中100人が恥ずかしいと思うものもあれば、100人中20人は恥ずかしくないと思うものもあります。法律も解釈の仕方で有罪にも無罪にもなる事例があり、有罪でも裁判官によって量刑が異なったりしますが、それと同じで、こちらのほうが望ましいが明らかに恥ずかしい間違いとは言い切れないという場合が多々あります。

こちらで辞典を決めてしまえば簡単かもしれませんが、そうすることでかえって書いた人の気持ちが伝わりにくくなることもありますので、そういう比較的自由度の高い文章の際は、当社では最低限の校正基準を定め、それに従うことをルールとした上で、クライアントの立場になって、おや?と首をかしげたり、恥ずかしい思いをしないような校正を心がけるようにしています。そうすることで、少なくとも“犯罪”だけは未然に防ぐようにしています。

人間はルールがあったり指示や命令をされたほうが楽に感じるもので、逆に自由にやっていいと任されると、さてどうしたものか?と悩み出してしまうものです。表記の辞典はそのために存在するもので、文章を書いたり校正したりする際のよりどころとなるものですが、比較的自由度の高い文章を校正する際は、まずオリジナルに忠実であることを原則としています。それを書いた人になってみて、そういう気持ちを伝えたいからこういう表記にしたのか、などと想像し、それが“犯罪”にならない限り許容します。結局のところ文章とは、それを書く人が伝えたいことを忠実に伝えるための手段ですので、その役割がきちんと果たせるようなお手伝いを校正者は行っているというわけです。

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